彼の演奏を初めて目にしたのはクラリネット奏者コハーンさんのコンサートでした。
伴奏をしている彼は、10歳離れているコハーンさんと同世代のような落ち着きと演奏ぶりでした。
実際、お目にかかったら、若々しく誠実な落ち着きのある音大生でした。演奏は期待通り、いや!それ以上のもので……
会場は最初から最後まで、彼の音色に圧倒されました。
お客様のなかには、体を乗り出し、指使いを見たり、聴いたりしてくださる方もいらして、皆様と嘉屋さんの演奏を共有できる喜びを感じました。
難しい曲を弾くのが好きと言う挑戦する気持ち、向上心がリスト好きになったのではないか?
彼の挑戦はまだまだこれからで、こちらも期待し応援したいと思います。
プログラム
D.ショスタコーヴィチ: 5つの前奏曲
S.プロコフィエフ: ピアノソナタ第5番 作品135
R.シューマン=F.リスト: 献呈 S.566/R.253
F.シューベルト=F.リスト: アヴェ・マリア S.558-12
F.リスト: 巡礼の年 第1年”スイス”S.160/R.10
1. ウィリアム・テルの聖堂
2. ワレンシュタットの湖で
3. パストラール
4. 泉のほとりで
5. 夕立
6. オーベルマンの谷
7. エグローグ
8. 郷愁
9. ジュネーヴの鐘
曲の解説をお話されながら演奏をしてくださいました。
D.ショスタコーヴィチ(1906-1975): 5つの前奏曲(1920)
普通、曲には作品番号が振られるが、これはショスタコーヴィチが13~14歳の時に作曲されたため作品番号が無い。当時のソ連の情勢を考えれば暗いこともたくさんあるし、また、11歳の時に友人が目の前で兵隊に射殺されたため、このようにシリアスな面が色濃く反映された作品だと思いました。
1、 アレグロ・モデラート・エ・スケルツァンド イ短調
2、 アンダンテ ト長調
3、 アレグロ・モデラート ホ短調
4、 モデラート 変ニ長調
5、 アンダンティーノ ヘ短調
S.プロコフィエフ(1891-1953): ピアノソナタ第5番 作品135(1923,1952-53年)
先ほどのショスタコーヴィチと同じく、共にソヴィエト時代を生き抜いた作曲家で、没日はスターリンと同じ1953年3月5日でした。
プロコフィエフはピアノソナタを9曲作曲していて、5番ソナタは始め、パリ・アメリカ時代の1923年に作られました。プロコフィエフは晩年になると自分の作った作品を次々と改訂する、という作業をやっていて、中期の、一番刺激的な、アバンギャルドな作風のものを手直しして、もう一度世に広めたいとしていました。
そして最後に完成したのが、これから演奏する第5番のソナタになります。本当はそのあとも交響曲第2番の改訂など、構想はあったようです。5番ソナタは当初よりも少し聴きやすくなっていたり、それでいて刺激的なところもあったりと、知られざる名曲ではないかと思っています。
~ここでちょっとグロトリアンのお話を~と嘉屋さん
グロトリアンは日本国内では見られないと思います。僕も初めて目にしました。ドイツやオーストリアのウィーンにはカワイはたくさんあって、ヤマハはハンブルグに工場もありますが、ヨーロッパは地域ごとに工場を構えているメーカーがあります。
グロトリアンはクララ・シューマンが愛用していた楽器といわれました。クララはシューマンの妻であり、ブラームスとは恋仲?とも言われました。世界初の女流ピアニストとして有名で「ピアニスト」という職業を確立したのもクララですし、暗譜でピアノコンサートをする、という今のピアニストからするとはた迷惑なことをしました。最初はリストが取り入れましたが、ずっと続けたのはクララでした。
いろいろなエピソードのあるクララですが、せっかくなので関連した曲を演奏したいと思います。
シューマンがクララと結婚するときに「ミルテの花 作品25」という歌曲集を書いて贈りました。その第1曲の「献呈」はリストが編曲した有名な曲で、世界中で愛されています。その「献呈」に、ある曲の一部分が引用されています。
その引用元になった曲、シューベルト=リストの「アヴェマリア」を先に演奏します。「献呈」の、どこに出てくるかは聴きながらお楽しみください。
F.シューベルト=F.リスト: アヴェ・マリア S.558-12(1837)
R.シューマン=F.リスト: 献呈 S.566/R.253(1848)
シューマンは、大切なものを包括的に表現する手段としてシューベルトの「アヴェマリア」を用いていると思いました。リストも自分の演奏会でよく演奏していました。
F.リスト(1811-1886): 巡礼の年 第1年”スイス”S.160/R.10(1835-53年)
1. ウィリアム・テルの聖堂
2. ワレンシュタットの湖で
3. パストラール
4. 泉のほとりで
5. 夕立
6. オーベルマンの谷
7. エグローグ
8. 郷愁
9. ジュネーヴの鐘
巡礼の年 第1年”スイス”は、1835~36年にかけてマリー・ダグー伯爵夫人とスイスを旅行した時の思い出をもとに、後に作曲しました。
アンコール
J.ブラームス(1833-1897):4つの小品 作品119より 第1曲 間奏曲(1893年)
ブラームスは最晩年までクララ・シューマンを想っていて、曲を書いてはクララに贈っていました。ブラームス最後のピアノ曲から、第1曲を演奏します。
クララ・シューマンの言葉によると、この曲は「灰色の真珠~曇った、非常に尊い」ものである。
(音楽之友社「名曲解説全集 第16巻」より)
お客様からの感想
今日はあいにくのお天気でしたが、演奏は素晴らしかったです。
素人にとっては、言葉で曲の解説や演奏者の思いを聴けたのが良かったです。
素晴らしいコンサートをありがとうございました。
繊細かつ大胆なピアノを楽しませて頂きました。
それに、グロトリアンの音、素晴らしいです。初めて拝見いたしましたが、こんな素晴らしいピアノがあったのですね。
素晴らしいひと時をありがとうございました。嘉屋さんの演奏はもちろん、ピアノの音色に心が奪われました。
人生で初めてグロトリアンに出会いました。
レクチャーをしてくれながらのコンサート、とても良く、分かりやすく楽しみました。また、リストの巡礼の年 1年を一度に通しで9曲聴くのは初めてで、感激しました。
嘉屋さんの演奏はどれも感動的でした。中でも、巡礼の年「スイス」を9曲通して聴いたのは初めてです。最後の「ジュネーヴの鐘」は、リストがマリーとの間に一女を得て、初めて父となった時に作曲しました。私も我が子を出産したあとに、リストの想いと重なり、祈りを込めてこの曲を練習したことを思い出しました。改めて、こんなに素敵な曲だったのですね。
嘉屋翔太さん、ますます注目していきます。
おまけ〜嘉屋翔太さんのインタビュー〜
嘉屋翔太さんは2021年、 第10回フランツ・リスト国際ピアノコンクール(ワイマール)にて1位なし2位(最高位)、併せて聴衆賞とサン=サーンス最優秀演奏賞も受賞されました。
嘉屋翔太さんのインタビューをご紹介します。
――音大に進学してよかったですか?
すごくよかったと思います。ピアノという楽器に対する愛情が格段に変わりました。一番大きいのは、ショパンが好きになったこと。1年生の終わりくらいから、ピアノをうまく響かせるいい作曲家だなと感じられるようになりました。
ショパンは、「フォルテは書いてある全部の音でつくるものだ」と言っていて、メロディラインだけを引き立たせるものではないという意味だと思いますが、そういう視点から、体重、指、呼吸など体のすべてを使えるようになってはじめてうまく弾けるようになるとわかったんです。
肩から腕を使えば体重をかけられるようになる。体重が自然にかかる状態が一番楽に弾ける状態なんです。それから、歌うことも大事だと思うようになりました。――本当に声を出して歌うということですか?
はい、本当に歌います。これも大学に入ってから身につけたことですが、弾く曲の全部の音を歌います。最近特に意識しているのは、全部の音を歌った上で、重要性を決めていくことです。
プロコフィエフの9番を弾いた時に、野島稔先生に「すべての音が聞こえるように。自分がどう聞かせたいのかがわかるように弾きなさい」と歌うことの大切さを教えていただきました。自分だけのイメージで聞こえるのではなく、頭の中で描いたものをほかの人に“聞こえるように弾く”ということです。
ピアノは基本ひとりでやるものなので、横のコミュニティがなくなっていかないようにコミュニケーションを大切にしたいと思っています。――普段の練習で気を付けていることはありますか?
【在学生インタビューシリーズ】第20回 嘉屋翔太さんを掲載しました(外部サイトが開きます)
気をつけているもっとも大事な点として、「こういう風に音を作りたい、だからこう弾く」というのが絶対にないといけないと思っています。どういう風に弾きたいかが決まってから、それをできるように繰り返し練習する。思考と練習の境目があるんです。そこを意識してから本当の練習がはじまります。
自分のできたこと、考えていたことなどを携帯電話にメモしたり、実況しながら録音することもします。うまくいった時の感覚を忘れたくないんです。
気温や湿度、いろんな環境がある中でも、自分がこう弾けばこの音になる、というものを作っておきたい。
以上、抜粋で引用しましたが、全文は東京音楽大学HPインタビューをお読みください。
こちらのインタビューもとても興味深く拝読しました。どうぞ合わせてお読みください。
【コンクール受賞者インタビューシリーズ】第20回 嘉屋翔太さんを掲載しました